SASAYAKIUDON’s diary

ささやくうどんです。

映画「アフター・ヤン」を観ました

 

2月の小雨が降り続く肌寒い日、映画「アフター・ヤン」を観に行きました。

 

コゴナダ監督の作品は初めてでしたが、好物である「ロボットと人間のドラマ」、坂本隆一さんが音楽担当ということで気になり鑑賞。

 

前半のあらすじをまとめると、

AIロボットが一般家庭にも普及している近未来。AIのヤンは、少女ミカにお兄ちゃんのように慕われながら、その養父母と4人で幸せに暮らしていましたが、ヤンが突然故障。養父はなんとか修理方法を探すうちに、ヤンが一日数秒間の映像が記録できたことを知り、さらにその映像に家族も知らない女性の姿が繰り返し記録されていることに気づいて…

というお話。

 

AIロボットが人間と交流するうちに人間のような感情が芽生えていく、というのはSFモノではよくあるハートウォーミングな展開。

 

ただ、この作品は“近未来の表現”と”映像の美しさ”の2点が本当に素晴らしかった。

 

近未来の街並みの様子や社会の構図などのイメージが大きく映されることは一切ない。

欧米系の両親に中国人の養女という”家族構成”にも近未来での社会変化が関わっているのかどうか、その辺りは不明のまま。

その代わりに乗り物移動や食事、夫婦の会話…など日常の些細なシーンで近未来感が示されていく。

 

この近未来の世界観の見せ方だけでも新鮮かつ美しく、鑑賞をおすすめしたくなる。

 

 

そして、ヤンのメモリーに残されていた映像のどれもが涙が出るほど本当に美しかった。

 

日の光に照らされる緑、昼寝をするミカ、ある女性と一緒に過ごした記憶。

一日に数秒という限られた時間の中で、ヤンはきっと日々のもっとも美しい時間を記録したのだろうと、納得の映像美もあって一層そう感じてしまう。

 

映画を通して、あたたかく素敵な映像体験だった。

 

 

また、もう一つこの映画でハッとした部分がある。

それはクローンであるキャラクターの「誰もが人間をうらやましいと思っているわけじゃない」という台詞。

 

私も好きな”人間とロボットのドラマ”だが、

初期は「メトロポリス」(ドイツ)のような、人間を模倣した異質な存在への恐怖やそれを克服する(倒す)ストーリー、

現在ではロボットをただの脅威にはしない作品も多いが、今度は人間のような感情を抱いて復讐したり誰かを愛したりという、あくまで人間の力や理解の範囲内に収める、という展開で終わるものがほとんどだという気がする。

 

まだまだ家庭に普及しているとは言えないものの、昔よりはずっと身近に存在を感じられるようになってきたAIロボット。

最近ではシンギュラリティももうすぐ始まると囁かれるようになってきた。

 

人間の理解可能なロボット、さらにロボット以外の生活に大きく関わる存在も出てくる気がして、もう一歩先の多様性の未来を見せるような作品が見てみたくなる。サイバーパンクの荒廃した世界と、SFドラマの間の物語というか…。

 

この映画での台詞は、恐らく人間への否定的な意味ばかりではなく、ロボットやクローンのような人間でない存在が故の生き方だっていいよ、と肯定するものだと思うけれど。

 

まとまらない文章ですが、そんなことを考えてしまった。

 

 

結局音楽のことはほとんど書いてませんが……

美しい映像とストーリーを邪魔せず引き立てる音楽だったということだと思います。

 

とにかくアフター・ヤン、綺麗な映像を大きなスクリーンで楽しめる映画館での鑑賞をおすすめします!

映画『アフター・ヤン』公式サイト|10.21[Fri]公開